根拠の無さに生かされる

 発達障害当事者で、二次障害である躁鬱等に苦しみ、自殺未遂や薬の濫用を繰り返しながらも、前向きに社会で生きる方法を模索し続ける、借金玉さんの著書を読了した。シニカルな視点から、しかし実用的なライフハックが軽快な文体で記されている。一番心に残ったのは、30個目の「自己肯定に根拠はいらない」という項である。これはカフカの「変身」を取り上げた際に述べた「誰でも毒虫に変身する恐怖を抱えている」ことと繋がっている。持っていたものをすべて失い、人生のどん底に落ちたとき、他者を見下して笑っていた自分の人差し指は、自分を突き刺すことになる。そうならないためには、普段から「無根拠に他者の生を肯定すること」が大事だと彼は説く。

 今や多くの「社会との関わり」を根底においた本において散見されるようになったこのような主張が、多くの人から支持されているという事実は、現代人が、自らが持つ価値観によって自らが縛られ、息苦しさを感じていると言うことを意味する。資本主義社会、競争社会、容姿至上主義など、多様な言葉で表される現代において、「金持ちでないと生きる意味が無い」「可愛くないといけない」...エトセトラ、エトセトラ、私たちはさまざまな価値基準に縛られている。うまくいっているときはいい。「俺は金持ちだから偉いんだ」「私は可愛いから自信がある」という風に、自らを肯定できる。しかし、それが無くなってしまった途端、心の中で思っていた「あの人は怠け者だ」とか、「あの人は可哀想」などの言葉が、すべて自分に返ってくる。その状況に、誰しもが陥りうるのである。

「自己肯定は無根拠であるに越したことは無いのです。根拠のある自己肯定は、根拠が失われれば消え去ってしまう。」

 以前、付き合っていた恋人に「私のどこが好きなの?」と尋ねたことがある。「存在そのものが好き」だという答えが返ってきた。容姿の美しさや頭の良さや収入の多さなど、いわゆる人間のスペック≠ノ依拠した「好き」は、それらを失うと無くなる。だから「どこが好きだと明言はできない」。「あなたという存在が好きだ」。これを聞いたとき、どんなに褒められた時よりも気持ち良く安心した。
 
 秀でたところが無くとも、優れたところが無くとも、あなたは生きているだけで良い。他者に対してそういう気持ちで接する人は、どんな状況に置かれても、同じように自分を肯定できるのである。

フランツ・カフカ 「変身」

 友達と不条理≠ニいうテーマについて話していた時だったと思う。真っ先にこの本の名前が挙がった。未読だと答えると「絶対に読んだ方が良いよ」と勧められ、ちょうど泊まりに来ていた母からも義務教育レベルの本だぞと揶揄された。退屈な講義中になんとなくその会話を思い出し、青空文庫でカフカのページを開いた。以下簡単なあらすじ。
 
 実直な販売員として生活を送っていた主人公、グレゴール・ザムザには、父と母、そして妹グレーテという、3人の愛する家族がいた。グレゴールは両親の借金を返済するため身を粉にして働いており、更には、バイオリンの得意な妹が不自由なく音楽学校に入学できるよう資金を貯めるなどしながら、家族と仲睦まじく暮らしている。
 
 物語は、グレゴールが「ベッドの上で、一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた」朝から始まる。突然毒虫に姿を変えた息子を見て、母は泣き叫び、父は足を踏み鳴らし、ステッキを持って追い立てる。愛する家族の彼への態度は、この日を境に急変する。
 
 この作品が示す、一見すると異常と思われるテーマには、普遍性がある。「変身」が時代を超えて人の心を掴んで離さないのは、これが1つの大きな理由になるんじゃないだろうか。「変身」にある普遍性≠ニいうのは、主人公グレゴールのように、毒虫という目に見えて分かりやすいモチーフでなくとも、「誰しも『変身』をし得る可能性がある」ということだ。誰が悪いというわけでもなく、私も、そしてあなたも、突如として周囲に見放されてしまうような姿に「変身」してしまうかもしれない。私たちには、それに対しての潜在的な恐怖がある。この本に目を落とすとき、皆「変身」に怯えている自分の姿を、自然と見出してしまうのだろうと思う。自分が「変身」したその時(それは、不慮の事故に遭い半身不随となってしまった時かもしれないし、はたまた、致死率のきわめて高い感染症にかかってしまった時であるかもしれない)、周囲の人々もまた、それに合わせて「変身」を遂げる。この作品では、その立場に置かれた時に自分も味わうであろう絶望が淡々とした、かつ繊細な筆致で描かれており、私たちはそれをある種の共感を持って受け取らざるを得ない。故に、ページを捲る手と、愛する人から思いきり林檎を投げつけられたかのような胸の痛みは、止まることをしらない。

「だれだって少しでもわたしたちを非難することはできないと思うわ。」
 
 家族想いの優しい妹グレーテが、変わり果てた姿の兄に対して匙を投げると同時に放ったこの言葉は、本当に、誰にも否定する事が出来ない。その通りだからこそ、「変身」はこれからも読み継がれていくのだ。